国鉄時代の1968年(昭和43年)10月,いわゆる「ヨン・サン・トオ」ダイヤ改正で大阪〜青森の寝台特急として運転開始した列車に「日本海」の名を譲り, 同区間の急行は「きたぐに」と改称されたのが,現在の「きたぐに」のルーツ。
はじめは旧型客車列車でしたが, その後,座席車(普通車)が12系となり,運転区間が現在と同じ大阪〜新潟に短縮され, さらに14系客車(座席車+寝台車)になったあと,1985年3月から583系電車となっています。
湖西線開業後も米原経由のままで運転されてきましたが,ついに2012年3月17日ダイヤ変更により定期列車から退くことになりました。 以降も多客期に臨時列車として運転されることになっていますが,湖西線経由となります。
大阪〜米原はEF58で牽引された時代の「きたぐに」。
寝台車10系(大阪〜新潟)+座席車12系(大阪〜青森)による運転。
当時は自由席を連結した定期の夜行急行だけでこれだけ運転されていました。
大阪駅に到着し,福知山線客車普通列車牽引のDD51と並ぶ「きたぐに」。 この時代はすでに運転区間は全車が大阪〜新潟に短縮されており,14系客車(寝台車+座席車)による運転。 大阪〜米原はEF65PFに牽引されていました。
新潟から14系「きたぐに」の座席車に乗車して大阪に着いたのは,583系に置き換えられる前日。 大阪に着いて牽引機を見に来てみると,米原からのEF65PFに「北国」ヘッドマークが掲出されていてビックリ!(前年に乗ったときにはヘッドマークがなかったので・・・)
それから25年経って,初めての583系「きたぐに」撮影は信越線。
18きっぷを手に週末前夜に「ムーンライトながら」に乗り込み,翌日は丸一日関東周辺で撮影。 その夜はいつもなら「ムーンライトながら」か,少し寄り道の「ムーンライト信州」に乗って帰路につくのですが,今回は「ムーンライトえちご」に乗車。 帰路につくどころか,むしろ遠ざかっていきます。
新潟到着後,そのままローカル列車で引き返して超定番撮影地へ。この日は素晴らしい青空の下,583系「きたぐに」が駆け抜けていきました。
気分良く最寄り駅から再びローカル列車に乗って,ひたすら西に向かいます。 途中,元583系の419系の独特の雰囲気,そして475系のかつて急行列車を思い出させる走りっぷりを味わい, 富山駅で立山地ビールを買い込んで,完全に乗り鉄&飲み鉄モードで12時間かけて帰神。鉄3モードを堪能しました。
翌年夏も信越線で583系「きたぐに」。
前年夏と同じく18きっぷで新宿から「ムーンライトえちご」に乗車。 新潟到着後,そのままローカル列車で引き返して,これまた前年夏と同じ場所の近くへ。 この付近,他にもいいロケーションの地があるのですが,「きたぐに」前走りのEF81貨物の撮影も考えると時間的にここがよかったのです。 まったく同じ場所では面白くないので,前回より少し東側のカーブ入り口でげっと。
この時が「きたぐに」との最後の出会いとなってしまいました。