1970年から上野〜(東北線)〜福島〜(奥羽線)〜青森の経路で走り始めた寝台特急「あけぼの」。最盛期には毎日3往復が運転されていました。 奥羽線福島〜山形(後に新庄)の標準軌化(いわゆる山形新幹線化)により,最終的には上野〜(東北線)〜(高崎線)〜(上越線)〜(信越線)〜(羽越線)〜(奥羽線)〜青森となって走り続けてきました。
しかし,時の流れには逆らえず,2014年3月14日発を最後に定期列車としての運行を終えることになりました。
関西に住む者にとって関東と東北を結ぶ「あけぼの」はそれほど馴染みがある列車ではなく,はじめは関東に行ったときに間合い撮影した程度でした。
ここ数年何度も「日本海」に乗って津軽地方へ,あるいは北海道への旅の途中で立ち寄った津軽地区で「日本海」・「はまなす」・「北斗星」や津軽鉄道ストーブ列車とともに「あけぼの」を何度も撮影し, さらに「日本海」なき後は,それに代わって上野経由でこの「あけぼの」に何度も乗車するようになると愛着が湧いてくるもので,定期運用から撤退するのは残念でなりません。
定番な場所ばかりですが,自分で記録した「あけぼの」をピックアップしたいと思います。
2006年から2007年にかけて「あけぼの」を関東地区で撮影したときは全区間EF81に牽引されていました。 国鉄時代に交直流電機色ローズピンクだったEF81もJR東日本に配属された車両は交流電機と同じ赤2号に変更されています。
2009年3月から上野〜長岡はEF64牽引に変更となり,当初は0番代で茶釜も充当されていましたが(残念ながら撮影できず),2010年3月から1000番代に変わっています。
随分久しぶりに鉄路で北海道へ向かう途中,「日本海」で青森に到着後,すぐに少し戻って後にやってくる「あけぼの」を待ち構えます。 確か「日本海」でここを通ったときは陽も差していたのにみるみるうちに天候が悪化,ここに着いたときは土砂降りでした。 しかし,その雨のおかげで瑞穂や草木は瑞々しく,パーイチの赤もいっそう鮮やかに写ります。
ゴールデンウィークの頃に満開となる桜のトンネルを走る津軽鉄道DD+客車列車,ようやく撮影が可能な季節となる早朝の「はまなす」(残念ながら「北斗星」はウヤ), 早春の津軽地方を走る「日本海」そして「あけぼの」を撮影しに,「日本海」に乗ってやってきました。
神戸ではすでに深緑の時期ですが,ここ津軽は春はまだこれからという感じの中を走る「あけぼの」です。
2012年3月に定期運行を終える「日本海」に乗って厳冬期の津軽地方へ・・・ この年は大雪で「日本海」・「あけぼの」が運休になることも多く,実際,前日の日本海に乗る予定だったのがウヤ。 さらにこの日に乗ってきた日本海も扉故障のため鷹ノ巣で打ち切り。寝台列車からロングシートの普通列車に乗り換えてここまでやってきました。
2010年夏の写真と同じポジションなのですが,こちらの方が微妙に見る角度が高くから見下ろす感じになってるんですが・・・ これは,立ち位置の歩道部分に車道を除雪した雪が高く積み上げられ,ほぼ自分の身長くらいの高さの雪の壁の上から撮影したからなのです。 (2010年夏の写真はここをクリック)
翌日は2011年春の写真と同じ場所へ・・・ここも同じく自分の身長と同じくらいの高さまで積み上げられたところからの撮影。 (2011年春の写真はここをクリック)
もう少し手前まで引き付けて・・・雪に埋もれたような中を行く「あけぼの」。
夏に津軽地方に行ってもなかなか晴れてくれません。 この年の夏の「あけぼの」撮影も小雨降る中でした。
定期運行最後の冬,青森駅出発待ちの「あけぼの」。「つがる」が到着して間もなく出発です。
裾野の広がりが美しく,津軽富士とも呼ばれる岩木山をバックに雪の平原を行く「あけぼの」。 雲がかかっているものの青空も見えて,岩木山もなんとか姿を見せてくれました。
私にとって定期運行最後の「あけぼの」を,峠越えのトンネルと抜けてきたところでお見送りしました。
定期列車としては2014年3月14日発を最後に運行を終えましたが, 同年4月〜5月の連休と夏休みに,臨時列車として運行されています。(青森発4月24日〜5月5日・7月31日〜8月17日 上野発はその翌日)
上り列車の青森発時刻が定期時代より繰り上げられ,日の長いこの時期には津軽地方で夕刻のあけぼのを撮影することができます。